丙午の年に思う、武田信玄のまなざし

丙午の年に思う、武田信玄のまなざし

今年は丙午の年だという。
丙午は、十干十二支の中でも“火の気”が最も強いとされる組み合わせで、昔の人々にとっては、どこか落ち着かない気配を感じさせる年だったのではないだろうか。


火の勢いが増す年──そんな言い伝えが、静かに心に影を落としていたのかもしれない。

史実として「武田信玄が丙午に特別な行動をとった」という記録は残っていない。
けれど、信玄が陰陽五行を大切にしていた武将だったことを思うと、
こうした“火の年”をどのように受け止めていたのだろうかと、つい想像が広がっていく。

信玄は、出陣の日取りや陣を敷く方角にまで陰陽師の意見を取り入れ、天の巡りを読むことを軍略の一部としていたと言われている。
自然の流れを知ることが、戦を制するための大切な手がかりになる、
信玄はそんなふうに考えていたのではないだろうか。

そして信玄は、火という存在に対してとても敏感だったように思える。
甲斐の城下は木造の家々が密集し、ひとたび火が出れば領国を揺るがす大きな脅威となる。
戦場でも、火は兵糧を焼き、軍の動きを乱す厄介な存在だったのではないだろうか。
だからこそ信玄は、火除けの祈祷を重ね、寺社への寄進を惜しまず、
さらには善光寺如来を戦火から守るために甲府へ移したとも伝わっている。

このとき建立された甲斐善光寺は、本家の長野・善光寺と同じく特定の宗派に属さない“無宗派”の寺院として続いている。
どの宗派の人でも参拝できる、開かれた祈りの場として整えられたのは、宗派を超えて領民すべての心を支えたいという、信玄の静かな願いがあったからなのではないだろうか。


火難から仏を守り、同時に人々の不安を受け止める場所──
甲斐善光寺には、そんな信玄の思いがそっと宿っているようにも感じられる。

信玄の宗教観は、どこか静かで、深いものだったのかもしれない。
彼は臨済宗を篤く信仰し、禅僧たちとよく語り合ったと伝わる。
戦の合間に禅の教えに耳を傾け、「心を整えることこそ、戦を制する第一歩」と考えていたのではないだろうか。
仏の力に寄り添いながら、火難を避け、領国を守ろうとする姿が浮かんでくる。

もし信玄が丙午の年を迎えていたなら、
「今年は火の気が強い」と、いつも以上に慎重に天の巡りを読み、
祈祷を重ね、軍の動きを静かに整えていたのではないだろうか。
火の勢いを恐れつつも、その力をどう扱うかを考える──
そんな信玄の姿が、ふと目に浮かんでくる。

戦国の世は、刀や槍だけでなく、“目に見えないもの”をどう受け止めるかが大切にされた時代だったのかもしれない。
丙午という年の持つ独特の気配と、信玄の慎重な気質は、
どこか響き合うものがあるように思えてならない。

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