田舎の同級会で気付いたこと

田舎の同級会で気付いたこと

もう数十年も経て、会っても誰が誰だか なかなか思い出せなくなっているのですが、そういう小学校の仲間たちと、当時の先生を囲む同級会に参加しました。山間の小さな村の小学校で同級生は32人。そのうち7名が既に鬼籍に入っていることが分かっており、残り25名のうち14名が久しぶりの思いで集合しました。先生とはちょうど一回りくらいの年の差ですが、年を経てお会いすると、見た目も何ももう同級生と同じで、先生が若いのか我々が年を取ったせいか、みんなで笑いあったのですが。実は、私はその小学校から途中でもう少し街中の小学校に転校していましたので、村と市の二つの学校を経験しています。その市の小学校の会が今年の前半に有り、それに引き続いての村の小学校の会でした。二つの会に出て、それぞれにいろいろな思いや先生に与えて頂いたものについて、その有り難さをしっかり心に受け止めた、意味深い時間を持つことが出来て良かったと思います。中でも今回の村の小学校の会では、一人一人が全員何らかの役割を持っていて、みんなが全く平等な立場で会に参加するように企画されていることに感動しました。大人になるにしたがって、社会的な地位や立場が出来、また一方で小学校の時の立ち位置を思い出すことが有り、数十年たって会うと、会の中心になる人や仕切っている人が決まり、多くの仲間はそれについていく、という形になることが多いように思います。ところが、この会の人たちは全く同じ立場で交流しています。それは、先生が教え子を常に平等に扱ってくださっていたことと、その教えをしっかり受け止めていた一人の旧友の力だったのではないかという思いに至りました。14年も前になりますが、初めてこの会に参加した時、彼が企画したのが、このように全員が全く平等に参加出来る形式の会でした。その名残が脈々と引き継がれているのです。彼も鬼籍に入った一人ですが、帰り道にもずっと彼のことを思ったことでした。

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