よりどころとしてのお墓

よりどころとしてのお墓

借家住まいだったころ、母が行くところが無いと不安だからと言って近くにあったご寺院の境内墓を購入する契約をしてきました。頭金だけ払って、後はよろしくと言われ、結局残金を支払い墓地としての基礎工事もしてそのご寺院の檀家という事になりました。

それから15年後に母が亡くなり、墓石を建てるために墓地に伺うと、亡くなった日と墓地の購入契約をしたのがちょうど15年前の同じ日だったので、因縁めいてちょっと驚いたのですが、ともかく母は無事に自分で決めてきた墓に入ることが出来ました。その後、弟と父が一緒にそこに入り、今では3人が眠る墓になっており、残された者たちが年忌やお盆、春秋のお彼岸に集うためのシンボルになっています。

母が亡くなって20年ですから、この20年間に何度遺族でそこに集ったことでしょう。一緒に手を合わせて祈りを捧げますが、祈りをささげるよりどころになっているのだと感じるのがお墓だなあと、みんなで言い合っています。別々の所に住む者が、そこに母たちが眠るという理由で集まって、互いの近況を話したり互いの無事を喜び合ったり、そういう場を用意してくれた母に今更ながら感謝しています。

近頃は墓をお持ちでない方々も増えているとか。もちろん墓でなくても、仏壇だったり、お位牌だったり、祈りをささげるところが厳然とあると、やはり心のよりどころがあるように感じるのではないでしょうか。散骨された方が、後でどこに向かって手を合わせたらよいのか迷う事がある、とおっしゃっていたこともあります。もちろんすべてではありませんが、手を合わせるよりどころ、そういうものが、日本人が心の中で求めるものかも知れないと思っています。

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