織田信長と法華宗

織田信長と法華宗

織田信長といえば有名な日本の戦国武将で明智光秀の謀反によって
本能寺にて自害したと云われているのは皆さんご存知かと思います。

でも本能寺が法華宗本門流の大本山であるのはあまり知られておりません。
法華宗は日蓮宗から分派した宗派のことです。

織田信長は比叡山の焼討や一向宗徒との戦いや高野山への侵攻など、
宗教弾圧のイメージが強いですが、伊勢神宮の式年宮(二十年毎の造営)や京都皇居の修繕などを積極的に行っていました。

そんな織田信長ですが、この本能寺には計4回も滞在したと云われています。

当時の住職は日承上人で天皇の親戚であったため、日承上人に帰依して
天皇家との関係を築こうとしたかもしれません。

また本能寺は、早くから種子島や堺での布教活動を行っていたことから、
種子島に大勢の信者がいたようで、本能寺に依頼すると鉄砲や火薬を手に入れやすいうえに、今よりもかなり大きく高い塀や深い堀があったとされており戦略防衛上にも非常に優れていたからとも云われています。

現在の本能寺は豊臣秀吉の命で場所が移りましたが、旧地は高校や福祉施設、
カフェ信長茶寮などになっています。

私は織田信長伝説の始まりである桶狭間古戦場跡、現在の本能寺を訪問するくらいの歴史好きなのですが、古くから宗教と政治は深い関わりを持っています。

少しでも歴史に興味のある方は、そうしたつながりも意識してみてはいかがでしょうか。

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