人は、生きた証が欲しくなる?

人は、生きた証が欲しくなる?

先日 あまり親しくした記憶が無い方から記念に作ったという自作の俳句集を送って頂きました。装丁も立派なハードカバーの本で、自費出版としては費用もかなりかけたものに見えました。実は自作俳句集を送ってくださったのは、これで4人目になります。皆さん会社員生活を終えられて、悠々自適の毎日を送られていらっしゃる方々で、お手紙には老後の趣味として楽しんでいます。少し作がまとまったので、拙いものばかりですが形に残しておこうと思った次第です、と異口同音の言葉が添えてありました。その中の一人と会ってお話ししたのですが、まあ生きた証を残したいという欲のようなものでさ、と自嘲気味に話してくれたのですが、本を作ってから何となく気持ちが落ち着いたように思う、ともおっしゃっていました。句会の仲間の方々も同じように感じているとかで、句会の時にはそんなことも考えずに、皆さんで切磋琢磨の評価会を進めているそうですが、いざ帰って一人になると、一句一句が人の心の中に残ればいいのになあと思うものだよ、とのこと。

人は何のために生きるのか、という問答にも通じる話だと思います。死にたくないから生きている、ということとは別に、やはり何のために生きたのか、それを生きた証を残すことで、少なくとも自分が生きたことを身の回りの人の心の中だけにでも刻んでおきたいということなのではないでしょうか。

生きた証が欲しい、というのは葬儀をきちんと実施して少しでも生を共有した方々に、自分が、生きていたことを覚えていて欲しい、という気持ちにもつながります。家族に葬儀などしなくてもいいから、と気を使って言っていらっしゃる方もいるようですが、それが本心かどうか。生きた証にもなる葬儀ではないか、と思うのですが。

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